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松平 信成(まつだいら のぶなり)は、江戸時代中期の旗本(寄合)。堅綱系大河内松平家5代。石高は1000石。 == 生涯 == 享保4年(1719年)に旗本・松平信晴の次男として江戸で生まれる。延享2年(1745年)12月2日に松平信応の末期養子となり、閏12月2日に遺領を相続する。同月12日に初めて将軍家重に御目見する。 延享3年(1746年)2月12日に小納戸となり、12月18日に布衣の着用を許される。宝暦10年(1760年)5月13日に大御所・家重附となり、家重死後の宝暦11年(1761年)8月4日に寄合に列する。9月6日、再び小納戸となる。宝暦12年(1762年)11月1日、将軍世子・家基附となる。安永8年(1779年)に家基が亡くなったため、4月18日に再び寄合に列する。 安永9年(1780年)4月5日に隠居し、養老料300俵を賜る。天明3年(1783年)5月6日に死去。享年65。 信成の代の松平家に仕える用人に滝沢運兵衛興義がいた。興義の五男・倉蔵はのちの戯作者曲亭馬琴(滝沢興邦)であり、松平家の屋敷跡地(江東区平野)には「滝沢馬琴誕生の地碑」が立っている。安永5年(1776年)、10歳で兄から家督を譲られた倉蔵(馬琴)は信成の孫・八十五郎(信栄)の小姓を勤めていたが、安永9年(1780年)に松平家を出奔している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平信成 (旗本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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